帰れなかった合宿

1970年、大阪万博の年の合宿でのできごとだったと思います。

その年の合宿は大山でした。

いつものように、楽しくもハードな合宿を終え、大山の宿からバスで米子に出て、そこから国鉄で岡山に帰るころ、目の前まで大きな台風が近づいていました。

汽車(蒸気機関車!)の出発は遅れていました。出発を待つ間にも天候はどんどん悪化し、米子駅のホームの屋根が強風でバリバリと剥がれて飛びました。それでも何時間か遅れで汽車は動き始めました。途中から暴風雨になり、汽車が止まったり動いたりを繰り返すうちに夜になりました。当時の平均的小学校男子像からいえば、わりとお行儀がよい桃太郎少年合唱団の団員たちでしたが、だんだんと空腹に耐えかねてきて、ついには「はらへった、めしくわせ~」と元気で悲痛な大合唱になってしまいました。

先生が車両に入ってこられて「できんことを言うな!」と一喝。練習中の厳しい叱咤の声ではなく、苦渋の声でした。団員たちは静かになりました。自らを恥じました。

その後、どこかの駅で停止しているとき、サラダせんべいとキャラメル(か、飴)が配給されました。せんべいは一人2枚ずつくらい、キャラメルもひとつと飢えを満たすにはぜんぜん足りませんでしたが、みんな大喜びでした。そして深夜、ようやく新見に到着しました。当時の通信環境の中で、いったいどうやって話をつけたのか分かりません。新見駅からタクシーに分譲して、豪雨の中、タクシーのライト以外明かりのない夜道を走って青年の家に向かい、一夜を過ごしました。翌朝、朝ごはんをしっかり食べたところまでで、記憶は飛んでいます。それほど強烈なできごとでした。

*

息子にとって初めての合宿の事前説明会には、私も出席しました。棚田先生が、帰れなくなった合宿のことをお話になりました。

「先生、それ僕たちのときです!」

「そうか、君たちだったか!」

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これもまた良き思い出です。

 

 

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