「◯✕の精神」

「◯✕精神がない」とか「△□の精神がない」というような言い方を耳にすることがあります。

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こういう場合、「◯✕精神がない」とか「△□の精神がない」の「◯✕」や「△□」をわざわざ持ち出さなくても、人間として当然のあり方である場合が多いと思います。ただし、誰もが聖人君子であるわけではないので、完遂できる人は稀でしょう。

だから、こういう場合の「精神」は、他者を判断するための指標として存在するのではなく、自分自身のための目標や戒めとして存在するのだろうと思います。

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そして、入学式や入社式で「◯✕の精神とは、云々」と校長や社長が言うなら理解できますが、ぜんぜん関係のない場で「◯✕の精神がない」というような言い方をする人は、自分にとって不都合な何かを覆い隠すために、他の人を貶めようとして言うのかなと思ったりもします。

 

 

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