未必の故意、カメレオン、ドア

高校時代の一時期、安部公房を集中的に読んでいたときに「未必の故意」という言葉を知りました。

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インターネットで公開した情報の中のある団員の姿に対して、受ける側にとっては攻撃とさえ思えるコメントが付けられたことがあります。発見後ただちに削除したので、そのコメントが世界に晒されていたのは数時間以内です。ところが、その数時間後、また同様のコメントが同じ人物からなされたので、再び削除しました。

これが、ほぼ3日間、繰り返されました。

幸いと相手が日本に住む日本人であることは明白で、日本人の標準的な睡眠時間以外を除いた時間帯だけ見張ればよかったので、その3日間、少なくとも寝不足にはなりませんでしたが、集中力の一定の割合をそちらに割く必要があったので、仕事はかなり滞りました。

違法行為による被害を受けた場合や、システム運営者が違反だと認める行為に対しては、システム運営者に対して報告すれば、対処してもらえることは知っています。しかし、この場合はできませんでした。というのは、そのコメントの内容は、違法でも違反でもなかったからです。

そして、コメント者には全く悪意がないことも分かっていました。悪意ではなく、むしろある種の親愛の情の提示でした(ペドフィリアではありません)。だから、そのコメント者をブロックすることは憚られました。書き込み→削除を繰り返す中で、そのコメント者は何かを学習したのか、あるいは、考え直したのか分かりませんが、最終的にはこちらが嬉しくなるようなコメントを残したことから、ブロックしなかったことは正しかったと思います。このようにして事態は収束しました。

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結果から言えば、繰り返されたコメントは大きな被害をもたらす恐れがあったけれども、未必の故意ですらなかったわけです。

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この「未必の故意ですらなかった」という点が重要です。つまり、相手に悪意がなく、自分のコメントが将来重大問題を引き起こすという認識が全くない場合であっても、書かれた側にとっては大きなリスクとなりうるということです。

上記の一件では、コメント者は自分の小さな発見の喜びの表現とその発見の披瀝のためにコメントしたと推測されます。発信する側が、コメントの元となった情報を複数の目を光らせて事前チェックを行っていたとしても、おそらく看過したであろうことを発見した結果のEureka! でした。そういう意味では、悪意の人が発見したのではなかったのが幸いです。

しかし、そのコメントがインターネットの中に残りつづけたら、当該団員は生涯に渡る被害を被る怖れがありました。また、その小さな発見への悪意を込めたコメントを世界中に発信する人がいるかもしれません。さらに、詳細は書きませんが、その他のいくつかの要因によって当該団員のリスクは否応なしに高くなっています。このリスクを低減するために私の立場から可能な措置はすでに行っています。一方、私の手が届かない部分については、周囲の協力が必要ですが、残念ながら得られないままに私は桃太郎少年合唱団とは無関係の存在になります。

現状のままでは今後半永久的にそのリスクは続きます。誰かが守りつづけてやる必要があります。(追記2017/11/17、上記は特定団員に対しての話でしたが、最近、もっと多くの団員たちに対しても状況が悪くなりました。)

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なぜ出発点では悪意のないコメントが到着点では悪意あるコメントと化したのか、また、なぜ半永久的にリスクが残存するのでしょう。ひとことでまとめると、それに関わった人たちの情報リテラシーが欠如していたからです。

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私は本来の専門分野とは異なりますが、高等教育機関において今の言葉で言う「情報リテラシー」に関する教育や研究に四半世紀にわたって携わってきました。だから、上記の一件が将来的にもたらす恐れについて瞬時に予測できましたが、普通の人はそうではありません。「情報リテラシー」という概念のもとに教育を受けていない世代の人たちに理解できないのはやむをえないとも言えますが、本を一冊読んで、日常感覚を応用しながら安全策を実践すれば、かなり高い確率でリスクを防げるし、何かあったときの事後対策も素早くできるはずです。

また、情報リテラシーの学習ができていれば、配布範囲が狭く、その物自体が朽ちやすい印刷媒体と、一瞬にして世界中に配信され、朽ちることのないデジタル情報との決定的違いが分かるので、両者に対して全く異なるアプローチが必要であることも理解できるはずです。

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このブログについては、団員や他の保護者から情報が提供されたときは、問題を孕んでいないかどうかをチェックした上で、必要ならば修正してから公開していました。幸いとほとんど場合、修正の必要がありませんでしたが、前半に書いた例と同じく気づけない場合があるので、私は日々のパトロールを日課としています(近い将来、過去完了形になります)。

パトロールが特定個人の永遠のノルマになってはいけません。しかし私の後を継ぐ人は誰もいない気配なので、このままではまもなく無法地帯になります。そこで可能なオプションは、情報配信をやめるという消極的かつ究極的な選択です。(※) (また、こちらもどうぞ→

(※)YouTubeのようにコメントできるシステムにおいては、「コメント不許可」の設定を選ぶことも可能ですが、これまでに得られたコメントのほぼすべてが好意的なものでした。

なお、事前対策については、例えばテレビのバラエティ番組をみても分かるように、時代によって人々にウケるポイントが変わりますから、つねに旬の世代の目で問題が生じそうなポイントを探し、十二分な対策を施す姿勢が求められるので、その点からも同一人物が継続してはいけません。

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世の中には、目に入るハエをパクっとやることしかできないカメレオンのように、今の自分の視野でものを考えれば良いと主張する人がいます。(聞きかじりですが)恐竜やカメレオンは、エサとなる相手が視界に入る以前から気配を察知し、動きを予測して自分がとるべき未来像を思い描くことができないそうです。要するに生存において時間軸を意識できないということなのでしょう。今の自分の視野でしかものを考えないのは時間軸をもたないカメレオンや恐竜に等しいです。過去を知り未来を予測しながら、つまり、時間軸の上で、今という瞬間を使えるのがホモ・サピエンスであるので、時間軸のないホモ・サピエンスが存在することは不思議です。

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さらなる観察結果としては、そういうことをする人は、本当にカメレオンのように、目の前にいる相手の色(肩書とか学歴とか)によって自分の色をコロコロ変える能力をもっている場合が多いようで、ある意味すごい!と思います。

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開けてはいけないドアというものが、たしかにあるのでしょうね。ITがらみのあれこれを開始するのは、開けてはいけないドアを開けることだったのかもしれません。ドアはあちこちにたくさんあり、「どうぞ開けて!」とアフォードしているし、、、、かなり怖い建築エレメントです。トイレのドアを開けるのにいちいちビビっていては、お漏らししてしまいます。

でも、ドアの向こうに床がないような設計ミスの建物も建っていまるので、やはり少しの注意が必要です。

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