「たかが✕✕」

「たかが✕✕」という表現があります。

私が直接的あるいは間接的に耳にしたのは、「たかがチラシ」、「たかが図面屋」、「たかがCAD」、、、「たかが大学教員」とは言われたことがないですが、「たかが非常勤講師」と言われたことはあります。

職業に対して「たかが」をつけることの非常識さや不見識さは言うまでもないので、ここでは人ではなく物に対して「たかが」を冠した「たかがチラシ」について書いてみます。

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たとえばチラシを「予算がないから2万で作ってくれ」と言われたら、当然、「2万の品質のデザイン」をします。ここで品質というのは、許された作業時間との関係で決まります。もし数千枚の印刷を含めて2万だったら、印刷費だの必要経費だのを差し引くと人件費は数千円しか残らないからデザインそのものは1、2時間で終わらせないと赤字です。つまり1,2時間で可能な品質のものしかできません。印刷別途で2万であっても、3割くらいは必要経費だから残り1.4万です。もし半日かかったら時給3500円。1日かかったら時給1750円。月収や年収に換算してもらえば高額ではないことが分かるでしょう。

デザインはアートではないので、得られる報酬にはある一定の限界があるのが通常です。報酬の範囲内でしかできないわけですが、それは手抜きではありません。使える時間には限界がありますが、時間の密度を上げて可能なかぎりのことをしようとします。(もちろん、どんな職種にも例外はいます。)

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チラシのデザインは、ビジュアルデザインとか視覚情報デザインと呼ばれますが、その質が低すぎたら(=見た目がひどかったら)、チラシを手にとってもらうことさえできません。手にとって見てもらえなければ、チラシとしての存在価値がありません。

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要するに、見た目の質、内容の質、両方が整わなければ、情報提供メディアとしてのチラシの価値はないということです。それを理解しておかないと、チラシを作って配る行為そのものが目的と化し、「我チラシを配れり!」と自己満足に浸ってオシマイになりがちで、せっかく配っても10m先のゴミ箱をそのチラシで溢れさせて終わりになったりするわけです。作る側が「たかがチラシ」というような態度であれば、より良い情報の提供は無理です。「たかがチラシ」と言う人は「たかがチラシ」しか作れません。

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結局、「たかが✕✕」は、それを言う人自身が、対象である「✕✕」について真摯に捉えていないこと、あるいは、キャパシティを超えていることを露呈させる働きしかもちたないのでしょう。あるいは、その「✕✕」を介した向こうにいる人を貶めるときに使う卑劣な言葉なのかもしれません。

 

 

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