「排除する」

2017年秋、マスメディアに「排除する」がさかんに登場しました。

「排除する」という言葉は一般用語に過ぎませんが、対人関係において好んで使うのは、ある一定の年代層だという印象を持っていて、小池百合子氏もまさにその年代層の人です。

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その年代層以外の人にとっては「(人を)排除する」というのは大変にきつい言葉であるので、軽々しく用いることはないと思います。しかし、その年代層にとっては若い頃の日常言語、つまり軽い言葉だったかもしれません。だから、その年代層が「排除する」といった場合、きつさについては、少し割り引いて聞いてあげた方がいいと思います。逆に言えば、その年代層の人たちは「排除する」のきつさに配慮して用いた方がいいということでもあります。その年代層の「排除する」を、他の年代層が「粛清する」と受け取る恐れだってあるわけです。

かつては、特殊な集団しか使わなかった言葉、特殊な場合にしか使わなかった言葉、軽々しく使うことは決してなかった言葉が、やがて軽い会話で普通に用いられるようになったケースは枚挙に暇がありません。たとえば「やばい」も昔はまともな人は使いませんでした。

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そう言えば「責任」という言葉も世代によって使い方や受け取り方がかなり異なるみたいですね。私の世代にとってはかなり重い意味合いですが、「やりたくな~い」ことを「責任を取れない」と真面目くさった顔で言う世代あるいは集団があると伝え聞いています。いずれにしても、そのようなシーンを目の当たりにしたことがないので真実かどうか分かりません。でも、目の当たりにしたら、吹き出そうになるのをこらえるばかりに超真面目な顔になって「そうですか。それはお気の毒に」と答えたりしそうです。

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「排除する」に話をもどすと、言葉としてのきつさは別として、言葉そのものの意味で見た時に「(人が)排除された」と説明できるケースはたくさんあります。このとき大事なのは排除する根拠です。正当で客観的な根拠があるなら、排除されるのもやむなし、と誰でも考えるでしょう。だから排除するためには、正当で客観的な根拠を提示する態度が求められます。

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「排除する」も「責任を取れない」もどちらも客観性の強い言葉です。

そのイメージから何か勘違いして「『排除する』とか『責任を取れない』とか言っちゃった私って客観的でかっこいい、キャハッ!」と自己陶酔する人もいるようです。こういう人たちに根拠を問うのはせっかくの自己陶酔気分を壊して気の毒なので、言葉の意味を問うようなマネはせず、黙って去りゆくのが適切なのでしょう。

 

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