今 はじまる, Il faut essayer.

フランス語を多少でも学んだ人は、タイトルのフランス語の意味が分かるでしょう。この表現、私は大好きです。同じ意味の英語は日本人的にはきつい感じに聞こえますが、フランス語だといい感じです(短絡的な人はフランス語は音が柔らかい?からだと言うかもしれませんが、そうではなく、この表現の成り立ちのことを言っています)。

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理工系の大学生だったとき、3、4年向けのフランス語の選択科目を履修しました。必修科目は2年時に終るし、そもそも工学系ではフランス語の需要が低いので、受講者は東大のように外国語試験で2カ国語が必要な大学院を受けるとか、フランス語に縁がある会社に就職が決まったとか、たんなる趣味とか、そういう学生ばかりです。そして、その授業は先生1人に対して学生2人でした。担当は10歳ほど年長のドミニク先生。授業というより3人の小じんまりとした親密な会合で、テキストはありましたが、その日の風まかせの楽しい授業でした。教室を抜け出して博物館めぐりしたり、カフェでお茶したり。日本美術に造形の深いドミニク先生から多くを学びました。

ドミニク先生が口癖のように言われていたのが、タイトルに書いたフランス語です。

たとえば、「ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し」のごとく私が口走ると、”Partez ! Il faut essayer ! “と叱られる、という感じ。

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ある年の桃太郎少年合唱団の定期演奏会のOB枠に出演し、「今 はじまる」を歌いました。歌詞もメロディも素晴らしい歌です。練習しながら、ペシャール先生の言葉を思い出し、かつてはそのまま訳して理解していた “Il faut essayer.”を「今はじまる」と訳した方がしっくりくる場合もあると気づきました。しばらく前に流行った「いつやるか? 今でしょ」という訳も適用できます。

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「今 はじまる」を歌ったしばらく後に、「今は今のことがある、昔のことは関係ない」という言葉を口にする人に会いました。自己の存在において時系列を否定するということは、つまり未来もないということになります。また、「今」という時間に「今」のことが何かできるのであれば、それは「今」が一定の時間の幅を持っていると認識しているわけです。時間の幅を認識できるなら過去や未来があることは分かるはずですから、こういう発言は、その人が言語能力や論理的思考力に劣ることを意味します。ところが、その人は「今は何もしたくない人」でした。それであれば、「今」が時間の幅はもたなくても大丈夫です。でもアンパンマン、この人は何をして生きているのでしょう?

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最近、宮城県の震災復興ポスター2017に、「宮城は現在(いま)も現実(いま)に立ち向かう」と書かれていると知りました。はっとさせられる言葉です。「今は今のことがある」の正しい使い方を示していると同時に、宮城の人々のように「今何かしている人」、「今何かしようとしている人」が言うからこそ真実味と迫力があるのだと感じました。

そして、この標語の向こうには、すばらしい未来があるはずです。

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