Les Essais d'un ancien membre de "Momotaro Boys Choir"

ロボット指揮者の時代

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たまには音楽に関わることを書いてみます。

先日、知人の知人が、ロボットのごとき指揮をする人の演奏を聴いたそうです。

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その話を聞いて、大学で教えていた若き頃、友人(少し年下の、他大学の教員)と「ロボット型学生と、学生型ロボットのどちらがましか?」なんて、真顔でふざけあいながら議論したことを思い出しました。結論は「ロボット型学生より、学生型ロボットの方がまし」です。教える立場の人にはわかると思います。でも、ロボット型教員もいるからなぁ、、、、。

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話を「ロボットのごとき指揮」に戻すと、先生方にセンサーをつけさせていただいて指揮を記録し、ロボットにインプットし、先生がお忙しい時はロボットに練習の指揮をしてもらうと、先生方が少しでも楽になれるし、練習も捗るのではないかと思いました。ちっちゃい子や見学の大人にはその方が受けるかもしれません。

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いつかホントにそういう時代が来るもしれませんが、指導を受けている側にとっては、指揮者のちょっとした表情がとても重要な情報源だから、お忙しい先生方には申し訳ないけれど、ホントにそうなってほしいとは思いません。

私がOBとして歌った時は、棚田先生、高野先生、大塚先生の表情から多くの情報を得ながら歌に反映させました。とくに大塚先生と阿吽の呼吸を成り立たせるべく静かに奮闘したラターは素晴らしい体験でした。といっても個人個人の特徴的な表情もCGで再現できる時代になっているので、練習だけならロボット指揮者でもある程度までいけるのかもしれませんね。

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知人の知人が「ロボットのごとき指揮」という表現を用いて言わんとしたことは、その指揮の見た目が機械的で演奏も単調で退屈、曲や演奏者が秘めているであろう何かを引き出せていなかったことのようです。桃太郎少年合唱団の団員たちが同じ曲を歌っても、どの先生が指揮されるか次第で演奏が大きく変わります。指揮者が及ぼす影響は大きいです。

私がOBとして体験した桃太郎少年合唱団で言えば、大塚先生の指揮は、客席からは淡々と見えたでしょうが、歌い手の一人としては、魂を吸い出され、内蔵をえぐり出されるような凄まじさを感じる指揮でした。そうでありながらも、失敗したら「やっちゃったね、でも、いいんだよ、いいんだよ」という笑顔を向けてくださり、とても楽しい一時を過ごせました。

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「ひろい世界へ」や「今 はじまる」のように未来を歌う歌に対しては、指揮者が歩んできた過去と演奏のまさにその時における指揮者の思いが相まって、団員たちの歌唱に大きな影響を与えると思います。もちろん、そういった思いは目に見える実体として顕在化するものではありません。そして、聴衆は、耳に入る音から、自分が持つ時間をあらためて実感するでしょう。

このようなことが起きるかどうかが、ロボット指揮者の有用性を判断する指標になってほしいと思います。

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そういえば、「これだったらロボットの方がまし」と思える人もいますよね。つい最近もそういう人に出会いました。

数年前から知っている人ですが、ものを考えないという点でロボット的だと分かっていたので、こちらもロボット的に社交辞令を述べてみたら、あちらからは超ロボット的な挨拶がかえってきました。そして、最初から最後まで、私に焦点を合わせませんでした。ロボットだから、どこか故障していたでしょう。

でも、生まれつきヘラヘラしたロボットより故障して焦点の合わないロボットの方が気持ち悪くないです。

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