社会人教育、コスト削減、職能、ボランティア

大学教員というものは、社会人教育の場に引っ張り出されることが多いと思います。私も大学教員時代はあれやこれやたくさんやりました(やらされました)。いまでも大学教員時代に身についた姿勢を引きずるような業務が多いし、ボランティア的に建築やIT情報提供ブログの運営もやっています。

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社会人教育の実践で感じたことは、社会人教育には「自分の無知を押し通す傲慢」という大きな壁が立ちはだかることです。学習には自身の無知に対する謙虚さが必要ですが、学習するに際しては意味のない肩書・年齢差・学歴などがもたらす沽券とでもいうものが障害となることを思い知らされました。

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桃太郎少年合唱団で私が携わったIT絡みのことの多くは、具体的な内容やスキルは初歩レベルにすぎないけれど、学習・研究・実践により獲得した専門的なノウハウ・知識・スキルの提供であり、本来なら業務として報酬を得るべきものでした。それをボランティアで提供した理由は、桃太郎少年合唱団において、人々がしばしば口にしていた課題(※)への解決法の一端を示し、そこから人々が何らかを学習することを期待したからです。要するに社会人教育を行うというスタンスです。学習といっても、最短で20分くらい、どんなに要領が悪くても数日で獲得できるものにすぎません。

(※)世間には、何らかの課題を口にすることで「そういう問題があることに気づいたボクって偉いなぁ」と自己陶酔し、解決が必要だということに思い当たらない人も稀にいます。桃太郎少年合唱団の場合がどうであったかは分かりません。

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さて、私が桃太郎少年合唱団においていろいろなことをボランティアでやった根底にあったのは「コスト削減」です。ふんだんな予算があれば、当初からボランティアで引き受けたりしません。なぜなら私がもつ専門的なノウハウ・知識・スキルは、私と家族の生活の糧を生み出すものだからです。そこで、社会人教育という方便を持ち出すことによって自らを納得させたとも言えます。だから、誰でも多少の学習で獲得でき、かつ、私が無償で提供したものより下回るものに対して予算を使うという愚行だけはしないでほしいと願います。

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私の本来の専門は建築ですが、私に対して、無料で家の間取り図を描いてくれと言ってきた知人はひとりもいません。そして親しければ親しいほど、注ぎ込んだノウハウ・知識・経験に見合った報酬を「これでは不足するのではないか?」と心配しながら支払ってくれます。互いに敬意を払い合う相手とは、このような付き合いができます。

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切手貼り、チラシ配り、名簿入力、あるいは、写真撮影、ビデオ撮影のように誰でもできることは、「面倒くさい」という気持ちを払拭できさえすれば、誰にとってもボランティアで引き受けることは可能でしょう。

ボランティアは「誰でもできること」であるべきだと思います。「誰でもできることであるはずなのに誰もやろうとしないことをやる」からこそ、ボランティアを行う姿は賞賛され、敬意を払われるのだと思います。「自分はやっているのにあいつはやらない」と考えたり言ったりする人もいますが、それは自分自身のボランティアの価値を貶める愚かな振る舞いです。

自らの身体と時間とお金を費やしながら長年に渡って獲得し、いまでは生活の糧を得る重要な手段となっているノウハウ・知識・経験をボランティアで提供せよと要求するような人もいます。これは、社会的に見ても、他者の職能への敬意という点からも、たいへんに不見識かつ非常識な行為です。自分の職能を大事にする人であれば理解できるでしょう。

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ただし、やむをえない状況におかれたとは言っても、一保護者がボランティアで行うべきこととそうでないことの境界を、私が曖昧にしたのは確かです(私自身は、OBとしてのボランティアと、これは保護者会メンバーとして当然やるべき先生方のアシスト、という一定のルールのもとにやっていましたが、外から見たら1人の人間が何でもかんでもやっていたようにしか見えなかったでしょう)。境界を明確化するためにあれこれやろうとしましたが、果たせませんでした。

 

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